彫刻家・若林奮と <軽井沢・高輪美術館の庭>

エントランスから望む美術館庭園 撮影:加藤健
エントランスから望む美術館庭園 撮影:加藤健

2021年7月22日−11月21日に、<若林奮 軽井沢・高輪美術館(現・セゾン現代美術館)の庭>展を開催し、その関連企画として、当時若林奮と共に美術館庭園制作に携わった山本鍾互(株式会社制作美術研究所 代表)による庭園ツアー「彫刻家・若林奮と<軽井沢・高輪美術館の庭>」を行った。本展に出品された資料・写真や庭園ツアー、さらに当館に保管している美術館庭園制作の画像資料をもとに、若林奮の庭園構想を考察する。

セゾン現代美術館の創立者堤清二の意向によって、若林の庭園構想は始まることとなる。山本は、若林と杉本貴志(スーパーポテト)のデザインによる、商業施設とアートを一体化させた空間「バー・ラジオ」(1972年神宮前に開店)の金属の造形物制作の仕事を手伝い、そこで若林と話をするうちに美術館庭園制作にも携わることになった。
山本は、1982年頃から若林のアシスタントの早矢仕素子と共に庭園制作に加わり、溶接の試作を繰り返しながら、若林と共に鉄の造作を思案していた。1985年に4ヶ月ほどの制作期間を経て庭園は完成した。

1981年に高輪美術館(現・セゾン現代美術館)が開館し、若林は1982年に軽井沢現地調査に入る。その後、姫路や京都、伊勢神宮(外部空間へ向けての広がりは重要なモデル*1)などへ調査研究旅行の後、1983年には途中段階の模型を西武に提出している*2

「高輪美術館庭園改造について」*3(財団法人高輪美術館作成) によると、高輪美術館庭園の改造前の状況については、以下のような点が指摘されている。

  1. 自然重視型庭園処理による閉鎖的なイメージ
  2. 回遊式日本庭園手法による美術館コンセプトとの遊離
  3. 敷地の半分近くが未開発・未整理
  4. 屋外彫刻展示余地の欠如

庭園改造にあたっての基本的な考え方としては、以下のような提案がされている。

  1. 閉ざされた場から開かれた場へ
  2. 恣意的な空間から意志的な空間へ
  3. 文化の拠点としての知的空間の設立
若林 奮《軽井沢・高輪美術館 (現・セゾン現代美術館) 庭の模型》1984年  撮影:山本糾 ©︎WAKABAYASHI STUDIO
若林 奮《軽井沢・高輪美術館 (現・セゾン現代美術館) 庭の模型》1984年  撮影:山本糾 ©︎WAKABAYASHI STUDIO

美術館庭園の川沿いの細長い窪地という薄暗く閉鎖的なイメージ、そのままの自然を生かし回遊路を通しただけの恣意的な空間に対して、新たな庭園は発展的により開かれたイメージが目指された。現代美術館として「造形的な意志を持った庭園」、「浅間山を見晴らす大自然と現代に生きる人間の意志としての造形物との調和の取れた庭園へと改造」*4することは、いわゆる伝統的な日本庭園とは一線を画すコンセプトになったのである。
軽井沢は、浅間山(標高2,568メートル)の南東斜面、標高900〜1,000メートル地点に広がる高原の地である。この浅間山の裾野のイメージは、若林の庭園づくりの核ともなっている。美術館の緩急様々な傾斜地は、浅間山のある雄大で厳しい自然に繋がると考えられ、「浅間山の噴出物がたい積した裾野の角度は17度。そこに植生が生え、水がえぐっていく近辺の段丘の勾配はたいてい30度。それがこの辺りの地形を安定させている角度」*5として、これらの角度や地形を基本に庭園が造形されている。

軽井沢・高輪美術館 庭の写真(1) ©︎WAKABAYASHI STUDIO
軽井沢・高輪美術館 庭の写真(1) ©︎WAKABAYASHI STUDIO
  1. 「“現代の庭”の先がけ“箱庭”状況を破る若林奮の試み」 『毎日新聞』(夕刊)1985年9月9日
  2. 若林奮「軽井沢 高輪美術館の庭の改造について」1982年11月24日
  3. 「高輪美術館庭園改造について」(財団法人高輪美術館作成)1983年頃
  4. 前掲「高輪美術館庭園改造について」
  5. 前掲『毎日新聞』

1981

開館当初の美術館外観 撮影:松本徳彦

開館当初の美術館外観 撮影:松本徳彦

開館当初の庭園遊歩道 撮影:松本徳彦

開館当初の庭園遊歩道 撮影:松本徳彦

1985

若林奮の構想による斜面を生かした庭園

若林奮の構想による斜面を生かした庭園

地形や斜面を歩くことによる「一種の触覚的体験」、「植物や石や金属等の素材及び周囲の風景を取り入れながら風や水の動きを敏感にとらえ全体におだやかな動きのある雰囲気」*6をつくりだすために、この土地の特徴を生かし、現状維持と造形的に整備する部分を明確にして、全体的調和を保つ庭園を構想したのだ。

地形と沢を生かした庭園構想

美しい自然を眺める視覚のみならず、植物、石、金属等からなる「触覚的な体験」は、庭園制作における重要な点であった。計画の段階では、樹木の植樹や植替えの他、石垣や敷石には火成岩の安山岩系を使用することも考えられていたようだ。*7山本によると、若林は敷石の厚みを当初1mにしたいと考えたが、現実的な問題で30cm程になったとのことだ。一歩一歩踏み締める毎に「地球の中心に向かうイメージ」を持っていたようで、敷石の厚みによって踏み心地は全く違うらしい。「大気中に満ちた植物のうち、地表面から自分の背の高さまでの部分は触覚である。それをこえる樹木の上層は視覚であり、地下は想像に属している。植物に対する理解にはもともと限界がある」*8という、触覚、視覚、想像の領域への若林のまなざしは、この庭園においても感じることができる。庭園では、遠方に見える浅間山を望み、手に触れる距離にある植物、石、金属の質感が感じられ、今自分が歩く地形を形成している地下に宿るエネルギーを想像することができるのだ。若林による庭園構想は、敷地を4つの区域に分けて考えられた。

  1. 若林奮「高輪美術館庭園改築についての提案」1983年、p.13
  2. 前掲「高輪美術館庭園改築についての提案」p.17
  3. 若林奮「七月の冷却と加熱」『若林奮 LW-若林奮ノート』2014年、p.225

第一区域

《鉄門》から橋に向かって広がる傾斜地

《鉄門》(1981)、《振動尺》(1981) 撮影:加藤健

《鉄門》と《振動尺》は1981年に手がけられていたが、庭園制作に伴い大きく改変された。当初、《振動尺》は入口に向かって右側に配置することを考えられていたが、現在は左側に配置されている。
当館の特徴的な《鉄門》は、コールテン鋼板をコンクリートに密着させる形でつくられている。鉄は表面に塗装をして錆を防ぐのが一般的だが、コールテン鋼は、あらかじめ鉄の表面に銅やニッケルなどで緻密な保護性錆をつくり、本体の鉄が錆びるのを防いでいる。当初は黒みを帯びた金属色だが、野外環境下において、その色調は鮮やかな赤褐色から茶褐色、さらに黒褐色へと変化していく。庭園は入口から、自然とともに変化する色や質感を感じることができる。

1981

(左/右)《鉄門》(1981) 撮影:松本徳彦

(左/右)《鉄門》(1981) 撮影:松本徳彦

《鉄門》(1981)/《振動尺》(1981)

《鉄門》(1981)/《振動尺》(1981)

1986-89

経年により赤褐色から茶褐色に変化した《鉄門》

経年により赤褐色から茶褐色に変化した《鉄門》

《振動尺》は、若林が生み出した、自己と対象との間に置かれた彫刻を通して伝わる「振動」を捉えることによって、人間と自然の関係性を測る物差しである。1977年に《振動尺 試作》が発表されてからこの試みは続き、振動尺の端にある手の跡が、目には見えない過去から現在へと重なる時間と空間を伝わる振動に「触れる」ことを物語っている。
「自分は彫刻をどこに置くことができるかを考えつづけてきた。別のいい方をすれば、彫刻の向こう側に何があるのかをみたいと思っているのである。そこには人間がいるかわからない。彫刻の向こう側とそれらの全体をのせた寂寞とした地を感じると思えることがある」*9と若林は語っている。「触覚的な体験」を促す庭園の入口に、軽井沢の動植物、風、川の水、そして活火山である浅間山の振動までも想像できる《振動尺》が設置されたのは象徴的である。

《振動尺》1981(部分・手の跡)

《振動尺》1981(部分・手の跡)

《鉄門》を入ると、樹木に囲まれた傾斜を降りて分岐となる、コールテン鋼板の五角形の鉄橋が小川にかけられている。山本は、この橋の制作について、若林の狙いは「鉄の質を一般的な鉄の造形とは違うレベル」にすることだと語る。鉄の造形は、普通ボルトなどの部品でゴツゴツとした質感を持つのだが、この橋はあらゆる面や線が刃物のように研ぎ澄まされ窪み一つ許さない状態に仕上げられた。路盤もできるだけ溶接面が目立たないように8,9枚の鉄板を繋いで擦り上げている。鉄の質感は、晴れや雨の日の天候の違いによっても見え方が違ってくる。特に、雨に濡れてコールテン鋼板が光り、その滑らかな表面に庭園の樹木が映り込むのはとても美しい。

五角形の鉄橋(晴天)撮影:末正真礼生

五角形の鉄橋(晴天)撮影:末正真礼生

他に類を見ない鉄の質感を生み出した五角形の鉄橋の制作には、試行錯誤を重ね約4ヶ月かかった。この橋は、広場のような空間性を持ち、両側の欄干部分にも傾斜が施されている。さらに規則的な筒状の穴がいくつもあいており、その穴を風が通ると「振動」が起こるという、まさに谷と窪地からなる庭園そのものを象徴しているようである。

五角形の鉄橋(雨天)

五角形の鉄橋(雨天)

  1. 若林奮「他と自分の間の距離」『若林奮 LW-若林奮ノート』2014年、p.272

第二区域

美術館に連なるテラス/台地

五角形の鉄橋から美術館建築までの広がりのある道は、草木と石で表現されている。建物との融合が試みられている台地の傾斜は、前述の浅間山の17度とされており*10、山本によると庭園の凸凹を切り取って面取りをした後、その残土で台地を形成したとのことだ。当時はこんもりとした丘だったようだが、適切な角度で斜面をつくり、自然に生えていた樹木を頼りに面をつくった。その斜面においては、下地にコンクリートを打ち、その上にコールテン鋼板をピッタリと据え付けている。これも五角形の鉄橋同様、何枚かの鉄板を繋いでいるが、できるだけ一面としての広がりを見せるようにつくられている。このコールテン鋼板は、人工的につくり出した台地の斜面、コンクリート下地の上に設置されている点で、他の斜面に設置されている作品とは違い、若林がどのように鉄を見せたいかという一つの提示方法だったと山本は語る。この台地において、庭園制作の要である触覚的素材、植物、石、金属が三位一体となり、同時にそれぞれの境界が表されている。
さらに、この台地は様々な角度からの視点をつくりだしている。五角形の鉄橋から美術館建築までの道からは、左側の台地や右側に流れる川や植物、そこを通る人の視界が意識される。館内から台地を通して庭園を見渡す開放的な風景、台地の斜面をなぞって美術館建築を見上げると遠景に浅間山が見える風景、台地の南斜面から繋がる谷の風景等*11、様々な方向から見える風景が、この台地を軸としてつくりだされている。美術館建築と庭園、人工物と自然とを一体化させる「造形的な意志を持った」構想である。

台地:コンクリート、鉄板工事風景 画像提供:山本鍾互

台地:コンクリート、鉄板工事風景 画像提供:山本鍾互

  1. 小泉晋弥「若林奮の三つの庭」『Saison Art Program Journal No.4』2000年、p.23
  2. 前掲、若林奮「高輪美術館庭園改築についての提案」p.7

第三区域

川の両岸に広がる比較的平坦な土地/野外彫刻を設置する場所

斜面のコールテン鋼板(春)撮影:末正真礼生
斜面のコールテン鋼板(春)撮影:末正真礼生

若林の作品を設置する場とされた区域であり、ここからは美術館建築の背景に浅間山が見える。浅間山とは反対の方角に見えたスケートリンクとの境界には、メタセコイアが植えられ、当時は人の腕ほどの太さだったが、現在は巨木に成長している。

メタセコイヤの並木

メタセコイヤの並木

斜面にて工事風景

斜面にて工事風景

ここの斜面には、30度とされるコールテン鋼板の若林作品が設置されている*12。山本によると、この造形は、前述の台地に据えたコールテン鋼板とは違い、その下に駆体やコンクリートの基礎が一切なく、12mmの鉄板による箱型の大きな造形を土の上に直接設置して、植物と鉄がどうやって共生するか、植物に鉄が侵食され年月をかけて造形として馴染んでいくことがテーマとなっている。この箱型の造形物は、中に何も基礎がなく地中に杭が刺さっていることで成り立っている。このような野外彫刻は、ここ以外にも前述の台地の対面となる斜面、その並びの斜面と合わせて庭園に3箇所設置されている。これらの造形物は、斜面に対して少し浮かせて設置され、植物が入り込むような仕組みになっている。また、鉄と土地の隙間には、工事で出てきた砂利を入れて、台地の築山同様、制作における全てのものを有効に活用している。
これらの作品を、台地の造形と比べると、周りの草の茂り方が全く違っていて、意図していたことの違いが明確になる。若林の作品は、いわゆる野外彫刻のモニュメンタルな造形美としてあるのではなく、土地の起伏や角度、植物の浸食や錆による表面の変化や経年を伝えながら、自然と人間の領域の間に存在しているのだ。

斜面にて工事風景  画像提供:山本鍾互

斜面にて工事風景  画像提供:山本鍾互

斜面のコールテン鋼板:植物の浸食(秋)

斜面のコールテン鋼板:植物の浸食(秋)

  1. 前傾、小泉晋弥「若林奮の三つの庭」p.23

第四区域

自生植物を生かした南西の急斜面/鉄橋

鉄橋(春)撮影:末正真礼生
鉄橋(春)撮影:末正真礼生

開放的な芝生の奥にある鉄橋について、若林の希望で橋桁をなくす(極力見えなくする)ための設計が思案された。敷地の谷や傾斜、窪地に余計な線を増やさず、川と直角に交わるような直線の橋がかかっている。川の上に浮いた鉄の造形物として考えると非常に珍しいつくり方をしており、構造的にもよくこれだけのものができたと山本は語る。若林が使いたくないという橋桁は、通常強度をつくるために50cm〜70cmくらいのH鋼を通すが、この橋ではそれをあえてつくらずに、全体を箱状にして軽快な感じにしたのだ。(図1)この橋も中は空洞になっており、どこにも継ぎ目や凸凹が一切なく、風による振動を捉える穴がいつくもあいてる。階段をおりて橋を渡っていくと、一気に視界が開き余計なものを一切排除した造形となった。

開館当初の赤褐色の鉄橋

開館当初の赤褐色の鉄橋

橋桁のない鉄橋(秋)

橋桁のない鉄橋(秋)

図1 橋桁の図解 資料提供:山本鍾互 

図1 橋桁の図解 資料提供:山本鍾互 

当初の計画では、この橋の下を流れる小川の中洲を埋め立てる(コールテン鋼板によって覆い、もう一つ橋をかける)ことが明記され、図面、模型も制作されたが、河川法により中洲に手を入れることは叶わず、実現はされなかった。山本によると、橋の先にある石段にも当初コールテン鋼板を敷き詰める計画もあったようだ。

庭園の植物

サラシナショウマとアサギマダラ

サラシナショウマとアサギマダラ

庭園の斜面に群生するクサソテツ(こごみ)

庭園の斜面に群生するクサソテツ(こごみ)

若林は、土地に造形的に手を入れながらも、敷地内に自生している植物を極力生かすようにしていた。現在、庭園は主にハルニレの林であり、美術館建築の正面玄関あたりにはカツラ、他にはカラマツ、モミジ、オニグルミ、メタセコイア、モミ、イチイ、ミズキなどの木々に囲まれている。敷地の南側の斜面には、春にはルイヨウボタンやシダ類が、夏にはサラシナショウマが群生し、所々にウバユリを見ることができる。花の季節にはアサギマダラが飛来する。

庭園には、千ヶ滝から流れてくる小川が通っていて、夏にはオタカラコウの黄色い花や、シラネセンキュウやシシウドなどの白い花が川沿いに咲く。庭園に広がる苔はスギ苔、ミズ苔など他3種類の苔が混在している。北側の斜面は、春には笹、夏にはイタドリや野アザミなどが多く見られ、他にも多種の花が転々と咲くが、一年中草が繁って花がわからないこともある。

庭園を流れる小川

庭園を流れる小川

庭園から《鉄門》への道

庭園から《鉄門》への道

アナグマの掘った跡が残る台地

アナグマの掘った跡が残る台地

台風で倒れた大木

台風で倒れた大木

浅間山の裾野の延長線における若林の庭園制作は、谷、窪地などの地形を生かし、様々な角度の斜面を切り出し土地の地形を露わにする壮大な彫刻となった。「そこに降り注ぎ、反射する日光、雨、滞留する湿気やこの土地特有の霧、落葉、四季折々の植生の色。それらが、へこみの空間に充満してこそはじめて“現代の庭”はできあがり」*13という若林の構想は、完成当初には植生が未完成のため見ごろは3年後になるとも考えられていた。当初植えたメタセコイヤは今や巨木になり、様々な草木が成長と腐敗を繰り返しながら、庭園は年々その姿を変化させていく。そして、40年前の構想は、自然との共生という現代の同時代的なテーマを予見していたかのようでもある。今ある価値観にとらわれず常にその先を見るまなざしは、まさに現代美術館の庭園として、これからも新たな風景を見せてくれるだろう。

坂本里英子(セゾン現代美術館学芸員)

  1. 前掲『毎日新聞』

庭園ツアー「彫刻家・若林奮と《軽井沢・高輪美術館の庭》」
講師:山本鍾互(株式会社制作美術研究所代表)各回14:00-

<開催日程>
2021年8月7日(土) 参加者15名
2021年9月4日(土) 参加者16名
2021年10月9日(土) 参加者29名