セゾン現代美術館 Sezon Museum of Modern Art

COLLECTION

コレクションのはじまり

当館のコレクションは、西武百貨店池袋店時代の8階催事場、西武美術館、セゾン美術館にて開催された展覧会を通して主に形成されております。

西武百貨店と現代美術の最初の出会いは1961年の「パウル・クレー」展(西武百貨店池袋店内8階催事場)でした。ベルン美術館所蔵作品等100点に及ぶ、日本初のクレーの展覧会は、3年以上に渡る交渉の後に開催され、まだ日本では一般的に知られていなかったクレーを紹介し広める機会となりました。当館が所蔵する《北極の露》(1920)は、生涯で多くの旅をしたクレーよる、想像上の北極の風景です。オーロラのような美しいうねり、リズミカルな山型の氷山、二つの円が表す二つの太陽(空の太陽が溶けた氷の表面に映る様子)が淡く溶けるような色合いで描かれています。当館では、他に《セイレーンの卵》(1939)、《木の精》(1923)、《Büste》(1922)の3作品を所蔵しております。

約800点におよぶ当館のコレクションは、歴史的には1914年のマン・レイ《二人》からはじまり現代の作品へと繋がっております。《二人》は、マン・レイがアメリカのアーモリーショーに展示されていたピカソやブラックなどの作品に惹かれて描いた貴重なキュビスム絵画です。この年を最後に、自然をモチーフにした油絵を描くことはなく、翌年にはパリから渡米したマルセル・デュシャンと出会い、ニューヨークでダダの活動をはじめることになります。当館は、1990年に大規模なマン・レイの個展を開催しております。造形芸術のあらゆる領域を横断したマン・レイ作品のなかから、他にもオブジェの数々、写真、版画など、約60点を所蔵しております。

池袋に西武美術館が開館した1975年の翌年、「カンディンスキー」展が開催されました。油彩と砂で描かれたワシリー・カンディンスキー《分割統一》(1934)は、同展ではすでに西武美術館所蔵として出品されていました。また、当館所蔵のもう一点の作品《軟らかな中に硬く》(1927)は、幾何学的な形で構成される作風が確立し、その動きや色の明暗は、反復、転回など音楽的な表現方法によって描かれ、同時に様々な音が重層的に響き合うかのようです。カンディンスキー同様、美術と建築の総合芸術学校「バウハウス」にて教鞭をとった、クレーの描く線や形との違いを見ることができるでしょう。

当館の前身となる高輪美術館が軽井沢へと移転したのが1981年に開館展「マルセル・デュシャン」展が開催されました。高輪美術館は、堤康次郎の日本伝統美術のコレクションする美術館でしたが、堤清二が「時代精神の根據地」として同時代の様々な実験的創造の場となることを目指し、軽井沢へと場所を移しました。日本初のデュシャン展が開催された後の1983年に《トランクの箱(ヴァリーズ》(1968)が当館のコレクションとなりました。本作品は、デュシャン作品の複製コレクションであり、ポータブルな68点のアイテムがつまっています。唯一無二のオリジナルが芸術の価値だったとすれば、デュシャンは大量生産、既製品で持って、その神話を崩しました。この流れは、後の現代美術史にも多大な影響を与えることになります。 これらの作品は、当館の歩みとも深く関わり、現代美術の草創期となる歴史的な作品としてコレクションの柱となっております。

戦後現代美術の流れ

1978年に開催された「アメリカ現代美術の巨匠たち 抽象表現主義の形成期’35-‘49」展(西武美術館)にて、ジャクソン・ポロックやマーク・ロスコなど抽象表現主義の原点を探る作品が紹介されました。1996年に開催された「抽象表現主義展 アメリカ現代絵画の黄金期」展では、ジャクソン・ポロック《No.9》(1950)、マーク・ロスコ《No.7》(1960)が当館の所蔵として出品されており、コレクションにおけるアメリカ抽象表現主義の道筋をつくっています。

ジャスパー ・ジョーンズの作品が、西武美術館で初めて展示されたのは1976年の「アメリカ美術の30年」展でした。その後、ホイットニー美術館との協力で世界巡回展となった1978年の「ジャスパー ・ジョーンズ回顧展」(西武美術館)において、《標的》(1974)が西武美術館蔵として出品されました。アメリカの国旗や標的のようにすでに日常にあり、自分でつくりだす必要のない、見ればすぐにそれとわかるけど見つめようとはしない存在に眼を向けた作品です。パウル・クレーは「見えないものを見えるようにする」と言いましたが、ジャスパー・ジョーンズは「現代(情報社会)において、眼で見る、見えるとはどういうことなのか」という、見るという行為自体を客観化する立場で、21世紀に向けて問い続けていたのです。当館では、約10点の作品を所蔵しております。

当館では、戦後のアメリカ現代美術の流れをコレクションの一つの軸としており、戦中、戦後にヨーロッパから多くの芸術家が移民として渡ってきたアメリカの勢いとも相まったアメリカ現代美術の流れと共に、イブ・クライン、ルーチョ・フォンタナ、アンゼルム・キーファーなど、時代を担い開拓精神に溢れる国際的な作品を展覧会開催と共に収集してきました。

<主な所蔵作品>
サム・フランシス《Untitled WC0011》(1963)など17点
サイ・トゥオンブリー《ディアナが通る》(1962/77)
アニッシュ・カプーア《Angel,1990》(1990)
李禹煥《From Line》(1974)、《With Winds》(1989)
アンゼルム・キーファー《革命の女たち》(1992)
マグダレーナ・アバカノビッチ《ワルシャワ40体の背中》(1990-91)

 

日本現代美術

1975年に西武百貨店池袋店の12階にオープンした西武美術館の開館記念展は、「日本現代美術の展望」でした。

本展のカタログに執筆された、当館の創設者堤清二による開館の挨拶「時代精神の根據地として」は、当館が軽井沢の地に設立されたテーマとなりました。堤は美術館のあり方について「たとえば砂丘を覆う砂や、極地の荒野の上に拡がる雲海のように、たえまなく変化し、形を変え、吹き抜けた強い風の紋を残し、たなびき、足跡を打ち消してゆく新しい歩行者によって、再び新しい足跡が印されるような場所であって欲しい」と自然に例えて書いています。美術館は「絶えざる破壊的精神の所有者」によって、一度つくられた権威や保守的な心情の変化を恐れず、破壊と創造を繰り返しながら存在し、「時代のなかに生きる感性の所有者」によって動かしていくという、「今」や「未来」を見つめる眼が強く感じられます。当館は歴史的な作品の流れを捉えながら、同時代を生きる作家と共に歩み、作品を収集してきました。

「日本現代美術の展望」展には、当館でも活動を追っていくことになる、荒川修作、中西夏之、横尾忠則、宇佐美圭司、堂本尚郎、菅井汲、加納光於、若林奮なども参加していました。日本現代美術のコレクションは、荒川修作《意味のメカニズム》(c.1963/88)全127点の所蔵、若林奮の美術館庭園の基本プラン構想など、それぞれの作家と深く関わり、80年代、90年代、00年代の作家の軌跡を時代毎に追うような収集をしております。

<主な所蔵作品>
荒川修作《意味のメカニズム》127点組(c.1963-88)、《Gentle Friends》(1985)など
中西夏之《作品 – たとえば波打ち際にて》(1984)など25点
横尾忠則《戦士の夢》(1986)など13点
堂本尚郎《連続の溶解7》(1964)など13点
菅井汲《フェスティバル・マウンテン》(1975)など5点
加納光於《陶壁にて Re》(1980)など34点
宇佐美圭司《煉獄・泡の塔》(1994-97)など47点
中村一美《存在の鳥 Ⅰ》(2004-05)など18点
大竹伸朗《家系図》(1986-88)、《網膜#9》(1988-90)
鴻池朋子《ヤマナメクジと月》(2015)